2019年10月10日木曜日

神戸高低差学会FW なぎさの微高低差エトセトラ その1

とある10月にしては日差しが妙に強い土曜日.
ここは阪神西灘駅前.灘区民のソウルマヨネーズ,ケンコーマヨネーズ本店前です.

私はここ灘区の小学校を卒業しましたが,小学校時代の給食のマヨネーズはケンコーでした.
すっかり神戸の会社と思っていましたがwikipediaで見ると2009年に本社を東京に移していました.日本マクドナルド向けハンバーガー用マヨネーズの供給も行っているので,結構な人が口にしていると思います.
この神戸工場は1967/10竣工.

またこの歩道橋の下は国道2号,路面電車の阪神国道線(野田-東神戸,1927開業)が走っていて,この付近に西灘駅がありました.そもそも阪神本線の西灘駅はこの国道線の開業時に乗り換え駅として開設されています.
1969年に西灘-東神戸間が廃止となり,この西灘が終点に.1974年に上甲子園-西灘間が廃止,そして1975年に全線廃止となりました.

摩耶ランプをダイナミックに越える歩道橋の下を,西郷川が大阪湾へと注ぎこみます.


歩道橋からふと下に目をやると以前山手幹線にあったユニバーシアード神戸大会のマラソンコース折り返し点の碑が無造作に置かれていました.道路の拡幅工事にともない中央分離帯がなくなりそれと同時になくなってしまい,どこにいったのか心配していました.コープ六甲店前の交差点に設置されていました.

マスコットキャラクターは手塚治虫(1928-89)の手によるユニタンでした.


山手幹線,六甲口付近にあったころの写真. 2012/1コープ六甲前.


神戸高低差学会の会長みや様と合流し,お手製のありがたい資料を頂きました.

摩耶ランプ南交差点の歩道橋.


高低差のある,なかなかいかつい歩道橋です.
ここは阪神高速3号神戸線の摩耶ランプと国道2号,43号そして摩耶埠頭,ハーバーハイウェイ経由でポーアイ,神戸空港へ向かう物流の交点です.


国道43号岩屋高架道の下には「西部警察」ででも使ったのかと思うような車両が,数多く展示されていました.

よくビルの上に小屋の様なものを増築しているのは目撃しますが,

この斜線対応屋根の上に張り出して「民宿」の様なものをのっけてるのは初めて見ました.


観音寺川です. 2016春のFWもこの川の上流を散歩しましたね.

求女塚西公園


西求女塚古墳

頂きにつどう人々.案内板によると4世紀の初めの築造.約1700年の時を隔てた人々に思いを馳せて.


前方後方墳とのことです.


西求女塚古墳は,古くは「万葉集」に兎原処女の悲恋伝説にまつわる兎原壮士の墓として詠まれ,東灘区の処女塚古墳や,東求女塚古墳とともに,「大和物語」や謡曲「求女塚」などにも登場する古墳として,知られています.
大きさは全長約95メートル,前方後方墳とよばれる珍しい形の古墳であり,築造当初は斜面全体が葺石で覆われていたと考えられています.竪穴式石室と呼ばれる埋葬施設に,中国製の鏡や鉄製の劔,刀,槍などが納められていました.
これらの出土品から,この古墳は古墳時代初期の4世紀の初めごろにつくられたと考えられ,当時のこの地方の有力な豪族の墓であったと考えられます.
語りつぐからにも
幾許恋しきを
直目に見けむ
古壮士
(万葉集 田辺福麿呂)


さすが古墳,結構な高低差です.


阪神本線 現行線,旧線の分岐点です.
西方向,奥に西灘駅が見えています.今にもこちらに電車が駆け下りてきそうですね.


東方向,旧線は電柱左の家が建っているあたりをぶっ飛ばして行ったはず.

進んで行くと,旧線路敷は公園となっています.西灘公園.


この付近は旧大石駅.2面4線の駅がありました.


公園の南側.この間知積は線路の築堤.

架線柱の基礎が残っています.


駅東の都賀川(とががわ)には鉄橋を除去して間知石を積み直した部分が,明瞭に見えます.


地上線時代の大石駅 1967/6 都賀川から大石駅を見たところ.
「神戸街角今昔」兼先勤/神戸新聞総合出版センター(2013)

さてここからは,都賀川河畔の遊歩道を南下.ほぼほぼ渚です.

向こうに見えるV字の橋はハーバーハイウェイの灘浜大橋.
灘浜大橋:1992年完成 ハーバーハイウェイの灘浜と摩耶埠頭の間に架かります.


この辺りは灘五郷の西郷.沢の鶴の酒蔵が見えます.

大石ポンプ場 灘区の汚水を魚崎浜の処理場へ送るポンプ場.1971年竣工.1998年まで稼働.
ちょっと木の陰になってますが,かっこいい物件.


都賀川河口.引き潮の時にはここに干潟が現れます.


東西方向の運河.左が山側,酒蔵地帯.右が東部第1工区,神戸製鋼所灘浜工場.東部第1工区は1959年に埋立完成,神戸製鋼所の1号炉完成.
奥の2層の高架道はハーバーハイウェイ.



神戸製鋼所社章入りマンホール.

新在家橋 1959/3竣工.東部第1工区と本土を結ぶ橋の一つ.


運河を渡り本土側へ.


ハーバハイウェイの左に見えるのが,阪神御影駅近くのタワーマンション.今日のゴールはあのあたり.

コーナンプロ新在家店敷地内にある月桂冠灘蔵の基礎を使ったモニュメント.


月桂冠灘蔵は1909年に新在家浜の蔵を買収し自家蔵による灘の酒造りを確立(「月桂冠三五〇年の歩み」1987),2003/3で操業終了.発掘調査により江戸時代の酒蔵の遺構が確認されたという.

宮水.



灘の旧街道
西国街道は古代の山陽道にあたり,大和と太宰府を結ぶ最重要道路.
江戸時代中期以降,産業が農業から酒造りや水運業が発達.海岸付近にできた村々を貫くバイパスとして浜街道が利用されていました.芦屋の打出付近で西国街道本街道から別れ生田神社付近で合流していました.

灘百選マンホール 西郷・旧西国浜街道

灘百選 みち
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/nada/miryoku/hyakusen/contents/frame_09.html
灘の魅力を再発見という目的で「灘百選の会」が始まりました,とあります.
私も灘区育ちなので,よく知る物件がいくつも選定されています.


国道43号,新在家交差点.スーパーの山陽マルナカ駐車場南,緑地帯あたりが旧新在家駅(1929-67).右奥の高架上に現,新在家駅.


このあたりの阪神旧線跡は国道43号に取り込まれています.

この辺から43号と別れて,


旧線跡の公園.浜田公園.

甲南漬資料館(旧高嶋家住宅主屋)

設計:清水栄二(1930)
清水は他に帝国信栄本社ビル(1923),御影町役場(1924-78),神戸市立生糸検査所(1927),御影公会堂(1933)などを手がける.

旧高嶋平介邸(甲南漬資料館)by 近代建築Watch
https://hardcandy.exblog.jp/5989058/
左の高架は阪神石屋川車庫です.

旧線は甲南漬資料館山側(左側)を通っていました.

そのもうひと世代前の旧旧線.

併用軌道時代の東明(とうみょう)駅.島式のホーム1面と車庫への引込み線だろうか,手前にもう1線見える.
「うはらの歴史再発見」道谷卓/東灘区役所(2000)

東明駅があったのは甲南漬本店(甲南漬資料館の西隣の区画)のすぐ南.東明駅南の大阪方に東明車庫もあった.

1929年に御影駅付近が高架化したときに線路が旧高嶋平介邸(現 甲南漬資料館)の南から北に移る.旧高嶋平介邸の竣工が1930年なのでほぼ同時期である.
「かなりの土地を車庫の用地にもとられた」(「うはらの歴史再発見」p.29)とあります.

1967年の石屋川-西灘間高架化により線路はさらに北に移り,車庫も高架化され石屋川車庫となりました.日本初の高架式鉄筋コンクリート製の車庫です.

この付近の阪神本線の変遷.

1.1923年の地形図 大石,新在家,東明の各駅と東明駅南東に車庫があります.

1929年,御影駅付近が高架化し新在家駅が一旦廃止され,東明車庫が北に移転.

2.1935年の地形図 東明駅が少し西に移転後,新在家駅に改称(1930)している.


3.1967年の地形図 石屋川-西灘間高架化.石屋川車庫竣工.旧線,旧旧線を赤で追記.
地形図3点は「今昔 on the web」より.

まだ続くかも.
神戸高低差学会FW なぎさの微高低差エトセトラ その2

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