2014年8月20日水曜日

お盆なのでお墓にぶらぶら

お盆ということで,六甲の実家からちょいと山側のお墓まで墓参りに.

このあたりに子供の頃初めていった歯医者さんがありました.ちょうど向かいがよく遊んだ公園なので,あの上の柵にもたれながらビールを飲んでみたい.

山の方へ上がって行く道は一本東に戦後にできた太い道がありますが,昔はここが海岸沿いの集落から山へのメインの道だったようです.

(左)1910(明治43)年測図の地図
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです.
用途としては一王山十善寺への参道だったのでしょうか.


1947年の航空写真です.
山手幹線が工事中というか,当時占領軍の飛行場として使われていた時代でしょうか.

阪急線路案内図 1931(昭和6)年 にも一王山,載ってます.

「阪神間モダニズム」(1997)淡交社より

1911年に一王山に温泉場ができたそうで,阪神急行電鉄(現,阪急)神戸線開業の頃はちょっとした観光地だったのかも.

この頃の出来事を年代順にまとめると
1905 阪神本線開業
1911 一王山に温泉
1920 阪急神戸線開業 六甲駅開業
1927 阪神国道開通,阪神国道電軌開業
1929 六甲村が神戸市に合併,六甲山乗合自動車開業(阪急系)六甲山ホテル開業(阪急系),表六甲ドライブウェイ完成
1931 六甲ロープウェイ開業(阪急系)
1932 六甲ケーブル開業(阪神系),阪神直営バス(阪神新在家〜土橋(六甲ケーブル下))開業
1933 六甲高山植物園開園(阪神系)
1934 六甲オリエンタルホテル開業(阪神系),省線六甲道駅開業
1937 六甲カンツリーハウス開設(阪神系)
1938 高羽尋常小学校開校,阪神大水害,水害で一王山の温泉半分流出

主として阪急が開通して以降,急速に神戸市のベッドタウンとして人家が広がり,神戸市に取り込まれると同時に六甲山の観光開発が阪急,阪神の競争で進み,1938年の阪神大水害で開発がストップし以降は戦争の時代へという流れです.


とことことこと道をあがっていくと,
70年代はこのあたりには個人商店がいくつか集まっていました.スーパー時代以前の名残のような感じでした.
左側に魚屋さん,豆腐屋さん,右側に碁会所.
線路を越えた山側には八百屋さん,パン屋さんがありました.

高羽第三架道橋.


小学生の頃,ここにプラスチックの樽に入ったおからが置いてありました.

山側から見たところ.

私は小学生当時うさぎやにわとりの飼育クラブに入っており,学校が契約しているここら辺のお店に餌をもらいに,何人かで通っていたのです.豆腐屋さんにはおからを,八百屋さんには大根の葉っぱや古くなったキャベツとかを段ボールでもらって,パン屋さんにはパンの耳をもらいました.ついでに私たちのえさもw


小学1年生のときに使った教室です(1955竣工). 当時は生徒が多く,教室が本校舎だけでは足らず,この別棟に6教室+さらにプレハブ1教室が1年生用として使われていました.今は高羽児童館となっています.


さらに山の方へ上がって行くと,トマソン的階段に遭遇.ここは昔は灘神戸生協の高羽支部でした.今は右上にちょこっと看板が見えていますがミニコープ高羽の店舗があります.


台風11号の影響で神戸三田線有馬方面が通行止めでした.


台風の影響でか,お墓に固定してあったプラスチック製の花挿しが飛んで行ってしまってました.

山に陽が落ちて行きます.また来るからね!


「市民のグラフこうべ 1982/5月号」に丁度この辺の空撮写真が載っていました.
南北逆で,山手から浜の方を見ています.

ではまた.
2014/8に散歩.

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