2015年1月22日木曜日

桑名の素敵な洋館 六華苑(旧諸戸清六邸)

前回の記事 電車でごとごと とある洋館への旅
http://sanponow.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html
からの続きです.

引き寄せられるようにふらふらと近づくと,お姫様が閉じ込められていそうな塔が!
ここは六華苑,旧諸戸清六邸です.

まさに桑名のカリオストロ!! (注 個人の印象です)


ガラスも曲面です.


六華苑(旧諸戸清六邸)は,桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅として,大正2年(1913)に建設されました.わが国の近代建築史上貴重な遺構であり,特に洋館は英国人建築家ジョサイア・コンドルの作品として知られています.
コンドルによる最初の図面では塔は3階建でしたが,近くを流れる揖斐川の風情ある景色を楽しむため4階建とされました.


空襲跡が残る諸戸邸 (米軍撮影)


玄関ドア


ドアのステンドグラス 内側から.


玄関部のタイル


ホール 玄関を見たところ.
この日は箏曲の演奏会が行われており,お琴の置き場になっていました.


ホールの天井


客間 南面のベランダを見たところ.


照明 基部の天井装飾は薔薇のレリーフです.


暖炉
展示されていた酒井一光(大阪歴史博物館)の論文によると,洋館の暖炉には明治30年代から明治末まで装飾タイルが流行したが,大正時代に入ると装飾のない色無地タイルが中心部のアール・ヌーヴォーの植物 文を引き立たせているのが特徴.
(酒井一光「六華苑・旧諸戸清六邸洋館 色無地タイルの品格」TILES 2009/10)


食堂


天井


食堂から客間の方を見たところ.


暖炉


ホールの階段部



手摺子の意匠もかわいらしい.


階段 廻るところの側板が曲線でやさしい感じ.


2Fの塔屋 応接室として使われていました.



窓枠も曲線.



塔屋の3F以上へ上がる階段
残念ながら立入禁止.やはり壁から行かなければw


書斎


書斎の机
家具,調度品は当時のものは散逸し,新たに購入したアンティーク物が多く展示に使用されていますが,この書斎の机は当時のもの.


暖炉


書斎での当主


サンルーム

陽当たりもよく


とても暖かでぬくぬくです.


寝室



洋館に接続する和館の屋根が見えます.


洋館はコンドル(1852-1920)の設計です.


和館の廊下は天井に明かり取りがありました.


建物外観 ベランダ側.


和館との接続部.


敷地内に稲荷社


波波な塀が Hey hey heyっと.



広大な敷地内には蔵もたくさん残っています.


1982年の同じ蔵あたり.
実は私の曽祖父は三重県出身で,ここ桑名の諸戸さんのところで書記の仕事をしていました.明治後期から大正時代にかけてくらいでしょうか.
それで親戚に案内してもらい,この付近を散歩したことがあるのです.以下当時の写真から.


洋館 1982年の様子
当時は公開されていませんでしたので,敷地外から見学.


車寄せがありませんが,1945年の空襲により破壊されました.
戦後は諸戸家関連会社の事務所等として使用されたのち,
1990年に建物は桑名市に寄贈されました.
修復工事により車寄せやステンドグラス等を復原し,1993年に「六華苑」として一般公開が始まりました.


私の曽祖父一家が暮らしていた家も残っており,そのとき見に行きました. 1923年に祖母が結婚して神戸に出てくるまで暮らしていた家でもあります.
1982年当時もう歩けなくなった祖母に,育った家や思い出の洋館を見せてあげようと写真を撮りにいったのでした.
洋館は今でもそうですが当時は尚のこと群を抜く存在で,これらの写真をみて祖母は大変懐かしがってくれました.


あたりをうろつく私(当時17歳).すぐ左がご先祖の家.今回現地では場所を思い出せなかったのですが,


帰ってからストリートビューで見つけることができました.
今は新しい家が建っています.道路右の蔵が,軒先だけちょこっと上の写真にも写っています.
一番奥の突き当たりの道を今回通り過ぎたのでしたw


1982年の桑名駅.


2015年の桑名駅に帰ってきました.

年始から懐かしのご先祖さまゆかりの地を散歩でき,よい散歩初めでした.
ではまた.

2015/1,1982/8に散歩.

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