2015年6月10日水曜日

六甲村の面影をぶらぶらと

とあるゴールデンウィークに懐かしい仲間たちとプチ同窓会をしました.

なにやら素敵な階段.


上をみるとこれまたいい感じ.六甲にもこんないい階段なビルがあったんですね!
地元のレストランで食事をしながら懐かしい話がとても楽しいものでした.幼稚園の同窓会なので40年ぶりくらいw

阪急山側のビルなので六甲駅の屋根の上も丸見え.

三宮行きのバスも見えています.


六甲村を見渡す景色はまたなかなか.
我らが高羽幼稚園もこちらの方向.

今の神戸市灘区域は1929(昭和4)年に当時の武庫郡六甲村,西灘村,西郷町が神戸市に合併したところ.
中でも私の地元がこちら六甲村.

ということで前々から気になっていた,六甲村役場.八幡町1丁目にあったと.

うーむ,どこかいなと思っていたら

大正終わりごろの六甲小学校の写真の背後左にちらりと似た建物が!
道路が右下がりなので左が山側.小学校から東を向いた方向でしょう.
以上2点とも「灘のうつりかわり」灘区勢振興会(1993)より.

これまた行ってみなければと思い立ち,またぶらぶらと.
1926年の地図でみるとこんな感じ.「灘のうつりかわり」灘区勢振興会(1993)より.

六甲小学校は現在は移転し,当時の跡地には校庭を斜めに横切るように阪急六甲の方へ上がっていく新しいバス道が戦後できています.

分断された敷地の北東側と南西側にそれぞれ市営住宅が建ち,北東側の1Fには保育園が併設されていました.

で,さっそく現地到着.
正面が元六甲小学校があった場所に建つ市営住宅.東から見たところです.

ということは,この左手ぐらいが村役場のあった場所.

お なにやらそれらしき門柱が!


なにか歴史がありそうな門柱.これはひょっとして当時のものなのかも!
当時の写真とも似ている感じ.

うちの実家も空襲で家は焼けましたが門柱は戦前から残っているものらしいです.
ので門柱が当時のものである可能性は高そう.古そうだったし.

現在は日本基督教団神戸雲内教会です.

何故,六甲に雲内(雲内というのは隣の旧葺合区にある新神戸駅近くの地名)という気がしますが空襲で移転してきたとかそういう事情でしょうか.



なんとなくここに村役場があったのを想像できるでしょうか.


市営住宅の1Fのあるはずの保育園が妙にひっそりと.

2014/4に移転していました.あたらしく南の方に保育園ができているのは知っていましたが新設かと思ってたら移転だったようです.


使われなくなった保育所は何か物悲し気です.

八幡保育所

六甲村というのはそのまた昔は,明治22年の町村制で6つの村が合併してできた村です.ここはそのうちの八幡村でした.六甲小学校も創立時は八幡小学校.


近くの交番横に道標が.「左有馬三田,右住吉西宮」

側面には「すぐまや山」とあります.

いまある場所は戦後できた道なので,元はもう少し南の徳川道のこの付近の山側に立っていたのでしょうか.

私の実家は六甲村の中でも元高羽村にありましたので墓地も高羽墓地にあります.この日は祖父の日で墓参りに.

参った帰りはもう夕焼け.高羽交差点の歩道橋です.

帰りには母校の高羽小学校の前を通って,

校舎は建て替わりましたが土留めや塀は昔のままです.

間知石の土留めの間に塗り込めたコンクリートが.ここにはゴミの回収口がありました.

小学生の頃,掃除が終わると敷地の片隅のあの上からゴミをぽいと捨てると下に溜まって,清掃車が下の取り出し口から回収していく仕組みでした.


学校前.昔はパン屋さんや文房具屋さんがありました.

ここは貸本屋さんでした.


下から学校の方を見上げたところ.
左は高羽川です.

下流側です.鬱蒼とした木立は丹生神社の境内です.


ワイルドな物干し場.干物が落ちると神戸港まで流れていくので奥さんはみな必死?

さらに行くとあぶない橋を渡らないといけませんw


大事なので2枚写真を貼っておきましょうw
「ここは通学路ではありません」
小学校に入学したときから探検してましたけどw


あぶない橋から下流を見たところ.
さらに鬱蒼としたところを高羽川渓谷が続いていきます.
この先,阪急電車の下を通る土管もあります.小学生にとっては探検場所だらけww


ということで夕刻の六甲村役場に戻ってきました.
保育所のある市営住宅は夜なのに電気もすべて消えていて,もう誰も住んでいないようです.
建て替えでもするのでしょうか.

ではまた.
2015/5に散歩


より大きな地図で sanpo rokko を表示

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