2018年4月3日火曜日

神戸高低差学会FW 須磨の谷は続くよどこまでも

この日はJRが沿線火災で一時運転取りやめとなり,いそいそと振替乗車票でお出かけ.



阪急三宮を過ぎ,この4月で開業50周年を迎える神戸高速鉄道のトンネルへとしずしずと進入.


普段は割とのどかな雰囲気の須磨浦公園駅も,桜の時期はかき入れどき.めちゃ賑わっています.

駅前の須磨浦公園総合案内板.

神戸港の埋め立てに使ったベルトコンベヤーの積み出し施設が雄々しく掲載されています.

この日は神戸高低差学会の春のFWです!

主催者の常陸野さん.颯爽とした,いでたち.今回も楽しいFWありがとうございます.


敦盛塚石造五輪塔.源平一の谷の戦いで16歳で命を落とした平敦盛の供養のために
建てられたといわれています.でもここには首から下だけ.


だんごっぽい印象.


須磨浦公園駅.1957年,須磨浦ロープウェイ開業と同時に現在地に移転.

反対側が旧須磨浦公園駅跡地.現在は阪神電車が折り返す中線のあるあたり.

1968年の神戸高速鉄道開業とともに阪神,阪急電車の折り返し設備として跡地を再利用されています.


旧上りホーム(兵庫方)へ向かう通路.
浜側には下りホームから浜へ向かう階段も現存している.


三の谷,叶橋.上空をロープウェイが行きます.


1984年の映画「メイン・テーマ」では薬師丸ひろ子も乗っていた,うみひこ号です.
googleストリートビューにロープウェイから見た 景色 がありました.

須磨浦病院.

鶴崎平三郎氏が日本初の結核療養施設「須磨浦療病院」として1889(明治22)年創立したのが始まり.
当時,海水浴は医療として位置づけられ,またその年には山陽鉄道(現:JR西日本)の神戸-兵庫間が開通し,ここ須磨の地は神戸,大阪と鉄道で結ばれ風光明媚で療養に適した立地となっていたのだろう.


「車を入れると有料だよ」

喫茶須磨の浦


山陽電鉄の架道橋,なぜか行き止まり.謎です!

どん突きで上を見上げて見る.


海に向かって孤独にピース!


再び,架道橋を越えて!


いい坂道.


ニノ谷川上流


崖に挟まれる谷地.

崖上からニノ谷を見下ろす.


ニノ谷からの海を見る.


谷間へ消えていく階段.



阪神大震災で落ちた地球が,そのままの状態で保存されている.


対になっていて,もう一方はちゃんと載っています.


全身に日光を浴びる像.満足げです.



みどりの塔,1954年全国植樹祭を機に,神戸緑化協會が設置.


ここで記念撮影.



背後には源平の合戦を描いたレリーフも.こちらは1941年.

源平史跡,戦の濱の碑.


神戸市バス 須磨一の谷の転回場.


道祖神ぽい何か.

観光熱心な自治会.

第81代安徳天皇安徳宮
真理胡弁財天
皇女和宮様之像
安徳帝内裏跡公園安徳花壇
モルガンユキ寄贈灯籠
旧鈴木商店番頭金子直吉邸跡
(一帯 旧宮内省御料地)

再び架道橋を潜って山側へ.桁下制限高 2.M4




七曲りの階段.一の谷坂落としのルートとされています.

よい景色です.

確かに,先ほどの戦の濱が丸見えです.


景色を見る人たち.

一の谷公園 皇女和宮像


1934(昭和9)年に県一(神戸高校),県二(夢野台高校),市二(須磨高校)の三女学校に和宮像を寄贈したうち,戦争中の金属供出から免れた一体との説明.


モルガン灯籠


1904年,日露戦争直前にモルガン家に嫁いだモルガンユキが献納した灯籠.

続きはこちら
神戸高低差学会FW 須磨の谷は続くよどこまでも の続き
http://sanponow.blogspot.jp/2018/04/fw_4.html

より大きな地図で 須磨の谷FW を表示

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