2018年4月4日水曜日

神戸高低差学会FW 須磨の谷は続くよどこまでも の続き

一の谷公園を出て,さっそくまたしても急な下り坂.


神戸高低差学会FW 須磨の谷は続くよどこまでも
http://sanponow.blogspot.jp/2018/04/fw.html
からの続きです.


そして次の谷を遡る.赤旗谷川上流にたどり着きました.

右岸側に敷島紡績所有地の表示あり.


川沿いに下流へしばらく行くと,磨崖仏.



明治末から大正初期に大阪の藤田男爵が,天理から須磨の別荘へ遷座された.
昭和13年の大水害により,別荘西端の当地へ流出し,今日まで祀り続けている.
今度は一ノ谷川沿いを再び上る.聖地っぽい岩山,


斜めな階段.


その上った先には,滑り台があった.


よい見晴らし.一ノ谷を見下ろす.


誰しも滑って見たくなりますね!


一ノ谷川上流.神戸市が港湾の埋め立てに使っていたベルトコンベヤーが記載されている案内板.
一ノ谷川に沿ってコンベヤーが設置されていたことがわかる.

1972年の航空写真から.

造成地を結ぶベルトコンベヤーが浜までくっきりあるのがわかる.
地図・空中写真閲覧サービス http://mapps.gsi.go.jp/ より.

谷を越え潮見台町を下る.

潮見台西小公園.やはり滑り台の上から.

潮風がふわっと,ここまで上がってくる感じ.


台地の突端から,急な下り坂を下ります.




実にいい感じの下り坂.





架道橋の通路幅と同じくらいの頭の人.



山陽電鉄の線路沿いの国道を歩く.併用軌道だったこの区間が高架化(専用軌道化)したのは上り線は戦中の1945年,下り線は戦後の1947年.

そこから国道2号を少し東に行った須磨駅前交差点には昔,神戸市電の西の終点,須磨駅前がありました.

この辺まで折り返し線があった.
戦時中に緊急相互乗り入れ用に山陽電鉄と神戸市電を結ぶ連絡線がつながれた.終戦直後,山陽の車両不足時に,神戸市電の車両が貸し出されたときに利用された.
市電須磨線は1937年に須磨駅前まで全通.1968年に廃止(衣掛町-須磨駅前間).

ファミマで休憩後,再スタート.

この日一番楽チンな上り坂.



景色を見ながら,余裕の上昇です.


マンホール拓職人,発動.

文字が右から.「西野」は地名のよう.


「神戸市須磨区地籍図」前田慶三/高梨東神堂(1921)より 国立国会図書館コレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966778

山陽須磨駅から北西の方向に西野東,西野中,西野西の地名が見える.
マンホールのあった地点は西野西から,さらに北西の空白地帯.
須磨駅西で線路が南側に少し屈曲し,国道と並走している.そのあたりからが併用軌道だったのだろうか.

高倉川.

この辺でグループとはぐれてる間に,鬼瓦だらけな家に遭遇.


須磨寺の駐車場から.

須磨寺周辺の案内図.


駐車場の窓からの景色が額縁のよう.






鯖大師

鯖大師は一ノ谷町2丁目(七曲りの階段付近)にあった貞照寺が,阪神大震災で全壊しこの場所に移転.


手なずけるおじさまw

シベリヤ満蒙戦役者慰霊碑

シベリヤ出兵は1918-1922年.

猫様っぽいにゃにか.


睨みをきかせています.



くるくる廻るやつ.

須磨寺を出てさらに山側に.

奥にちらりと見えるのは貿易商,西尾類蔵の邸宅.現在は神戸迎賓館.
西尾類蔵邸(1919) 設計:設楽貞雄

西尾家住宅
https://www.nishiotei.org/
旧西尾類蔵邸 by 近代建築Watch
https://hardcandy.exblog.jp/9638786/


右目室外機の発見に沸く人たち.


須磨寺公園に戻り,浮御堂から.


案内板には

アップで見るとシワがすごそうなワンレンギャルたち花見をしていました.


千森川の暗渠の道を下る.この先,右の人肌サイズの道が震災前の旧道.


警ら箱まで同一色で塗られた,かわいい洋館.


関守稲荷神社

須磨の関 関屋跡といわれている.



何度目かの架道橋を潜ると,


村上帝社.


目が合いました.


平安時代の琵琶の名人藤原師長が唐に渡り琵琶の奥義をきわめたいと願い,この地に泊まった夜,琵琶の名人である村上天皇と梨壺の女御の霊が現れ,師長に琵琶の奥義を伝えたので思いとどまりこの地に「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰ったという伝説があります.
ここには小さな前方後円墳があり,それが「獅子丸」を埋めた塚と言われていたそうですが,現在は線路で二分とあります.

山陽本線,千守踏切


浜側手前2線だけ橋梁となっている.奥側2線は複々線化でできた線増部分.複々線化は1965年(鷹取-西明石間).

暗渠だった千森川が,ここからすぐそこの浜まで開渠となる.


線路沿いに須磨駅に向かって歩いて行くと,山陽鉄道境界杭が.
山陽鉄道の最初の開業区間として1888年,兵庫-明石間が開業.須磨駅も同時に開業.



須磨駅前に到着.駅舎は1965年の複々線化時に橋上駅舎化された3代目.


お疲れ様でした.この季節,このコースは私の写真では少なめでしたが,桜も大変美しく楽しい散歩となりました.
いろいろ計画,ご準備頂いた,神戸高低差学会の皆様ありがとうございました.


JR須磨駅から.鉢伏山の夕景が美しくなっていました.

2018/3に散歩.ではまた.


より大きな地図で 須磨の谷FW を表示



いままでの神戸高低差学会FWの記事
・神戸高低差学会FW 神戸高校,摩耶ケーブル下駅へ
http://sanponow.blogspot.com/2016/04/fw.html
・神戸高低差学会FW 灘丸山公園,杣谷川から都賀川へ
http://sanponow.blogspot.com/2016/04/fw_24.html
・神戸高低差学会FW 垂水の陸から海へ
http://sanponow.blogspot.com/2016/12/fw.html
・神戸高低差学会FW 須磨の谷は続くよどこまでも
http://sanponow.blogspot.jp/2018/04/fw.html
・神戸高低差学会FW 須磨の谷は続くよどこまでも の続き(この記事)

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