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2019年9月28日土曜日

姫路モノレールに会いにどんどこどこどこ part2

姫路モノレールに会いにどんどこどこどこ part1 からの続きです.
姫路モノレール手柄山駅跡地は,手柄山交流ステーションとして2011/4/29にオープン.

姫路モノレールの記憶と記録を展示しています.

手柄山交流ステーションの青木氏が情熱を持って保存,紹介活動をしてくださっています.

この人です.仕組みや設備,施設も大事ですが,その原点には情熱のある人の存在が必要だと思います.

青木氏のはからいで,普段は見ることのできない1Fからのモノレール車両鑑賞やお宝グッズ,資料等の見学もさせていただきました.ありがとうございます.
まずは,お宝グッズから.

じゃーん!


モノレールにタッチ.


駅名板,改札ラッチ,

時刻表.



コーナーのピンク色のタイルと


壁際のカウンター高さより下の人造大理石っぽい仕上げ材は,モノレール駅舎だった当時からのもの.この空間は,2Fのプラットホームから3Fの改札口に上がってきたところのようです.たっぷり撫で摩りモノレールを感じることができました.


3Fの事務室.このあたりは手柄山駅コンコースや駅事務所だった場所.


頂いた資料より,手柄山駅当時の平面図.上の写真は改札口前あたりから平面図の左方向を見たところ.

現在のフロア構成はこうなっています.


続いて資料の保管室へ.

貴重そうな文書も,てんこ盛りです.保存年限 5 というのが気になりますが.


手柄山駅3F平面図.先ほどの平面図とは少し異なります.屋上から駅舎への階段や改札ラッチ位置などこの図から変更があったことがわかります.


未来人が姫路モノレールを再現できるだけの図書が揃っています!


高尾アパート解体前の大将軍駅プラットホーム.

大将軍駅からの写真.上は手柄山方.軌道の奥に見える煉瓦造りは山陽色素の工場.中,下は姫路方.連なるビルの上に軌道が走ります.

ルパン三世なら逃走ルートに使えそうですね.

では車輌展示コーナー.

近未来感あるロッキード製,姫路モノレールの保存車両.


連結部.



未来感あるフォルム.



カバーを開けて中も見せていただきました.


軌道側面のレール.車体の左右の揺れを防ぎます.


モノレール,断面.文鎮のようです.

このリベット感.


上から.




車内から見た,出発方向.


運行当時の動画も上映.




車内に入り座席に座ることもできます.


プラットホームには当時のままの水飲み水栓.旅人たちの喉をうるおしていたに違いない.


いつの年も暑いです,お疲れ様.

運行時を再現したジオラマも.

姫路駅.


手柄山駅.

屋外には台車も展示.

側面の上は給電用,下は左右の安定用レール.


屋上から駅舎へ降りて行く階段.この階段も当時からのもの.

では手柄山中央公園内をぶらぶら.

お! 何やら展望台も.

手柄山回転展望台


この塔は,手柄山で昭和41年(1966年)に姫路大博覧会が開催された時に,シンボルタワーとして建造された回転する喫茶展望塔で,『姫路博記念塔』という名称が付けられました.
2本のアーチが直角に交差するフォルムは,米ロサンゼルス国際空港内のTheme Building(テーマビルディング)をモデルにデザインしたとされています.
地上から最上部までの高さは24m,喫茶室のあった4階部分の床は約14分で1周していました.その窓辺からは姫路市内を360°見廻せることから,眺望ポイントとして多くの人々に親しまれてきました.
老朽化により閉鎖される平成30年(2018年)3月までの間,およそ半世紀わたって姫路のまちの文化・歴史の移り変わりを見守り続けてきた存在です.


太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(1956)です.


この塔は先の大戦で空爆の犠牲となられた方々の慰霊に資するため,全国からの浄財により1956年(昭和31年)10月26日に建立されました.
現在は109都市(東京都を含む)が加盟する財団法人 太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会が維持管理を行っています.
中央の塔身部は刀を地中に埋めた形で「もう戦争はしない」ということを表現しており,側柱には建設にかかわった全国戦災都市連盟(113都市加盟)の被災記録などが刻まれています.
竣工以来,毎年10月26日に塔前においてこの浄域に眠る加盟都市50万9700余柱の犠牲者を追悼する平和祈念式典を挙行しています.
再び姫路駅に向かってぶらぶらと.


大将軍橋
大将軍橋は,昭和三十二(1957)年に架設し,平成十六(2004)年までの四十七年間,JR山陽本線と立体交差する幹線道路橋として供用をしていました.
しかし,架設以降,急速な人口増加により鉄道が地上を走っていることによりJR山陽本線を横断する幹線道路における交通渋滞などの課題が顕在化してきたことからこれを解決するため,昭和六十四年に事業着手したJR山陽本線等姫路駅付近連続立体交差事業にて,大将軍橋を撤去し,現在に至っています.

事業着工前の大将軍橋.大将軍橋の手前に並行してモノレールの軌道が残っています.大将軍橋の向こうには龍田紡績の工場(現在はイオンタウン姫路)も見えます.


将軍橋,龍田紡績付近の地図.


山陽新幹線高架の向こう(北側)に残るモノレール軌道.




山陽本線の北側に並行して,青い橋梁の下部に煉瓦でできた橋台が見えます.三菱電機専用線のものでしょうか.


その橋梁の上,姫路駅方.


さらに南側にも煉瓦造の橋台が.姫新線のものでしょうか,それとも山陽鉄道?


ジオラマのこの付近の写真.右上が大将軍駅(高尾アパート).
モノレールの下を,向こうから手前に一直線に来るのが山陽本線,左にそれていくのが姫新線.さらに急な曲線でそれていくのが三菱電機姫路工場専用線.上部左端に三菱電機姫路工場が見えています.

大正時代の地形図

1926年の地形図 姫路南部 1/25000
今昔マップ on the web に追記(赤文字).
当時は日出紡織工場.既に専用線が引かれている.姫新線はまだありません.
1874年の歩兵第10連隊以来,姫路は軍都として発展.軍需産業としての紡績会社が立地しています.日出紡織跡地に三菱電機の姫路工場が開設されたのは1943/12.
1967年の地形図には専用線の記載はなくなっていました.


残るモノレール軌道.山陽新幹線より北区間.



船場川岬橋から南方向.左右の高架は山陽新幹線.


岬橋から北方向.ここからはもう軌道は残っていない.


モノレール軌道を西から見たところ.モノレールが新幹線の下を潜るところ.


山電 西側区間.

山電 東側区間.


広報ひめじ 1966/5/25
写真は山陽電車を越える箇所.T字型の橋脚,右の方は現在も山電の車窓から姫路駅に向かうとき右手に見えるもの.左の方は山電,山陽本線入れ替えのときに撤去されたものでしょうか.
当時は橋脚だけで橋脚下のビル群が後からできたことがわかります.


いただいた資料から,1966/5/16の神戸新聞.
モノレールに試乗した人々は「全くすばらしい乗り心地」と口をそろえて感嘆する.そして「絶対に事故のない安全な乗り物」と聞かされて,二重に感心する.
写真は手柄山から姫路城方向を見たところ.モノレールの位置は月見橋前後でしょうか.背景に山陽色素の煙突,下水処理場の工事現場が写っています.


請負者は丸紅飯田(現,丸紅).社長,檜山廣は私たち世代ではロッキード事件丸紅ルートで有名な方ですよね.贈賄罪と議院証言法違反で起訴され,1995年実刑が確定.
日本ロッキード・モノレール社 専務取締役 四本潔.日本ロッキード・モノレールは川崎航空機工業・川崎車輌・日本電気・西松建設などが出資して1962年に設立.1974年に会社解散.四本は後に川崎航空機工業社長,川崎重工業社長(1969-77)になります.日本兵器工業会会長,日本航空宇宙工業会会長も歴任.


1966年ごろの路線拡充計画図
北東は野里,白国へ.北西は横関,書写へ.南は飾磨・思案橋から東は大塩,西は網干まで計画されています.1964年に国が播磨地区を工業整備特別地域に指定.播磨臨海工業地帯として発展をとげようとする時期でした.


姫路駅に戻ってきました.高架化した姫路駅に待機する,播但線103系電車.
ではまた.

2019/9に散歩
資料は姫路市手柄山交流ステーション展示,所蔵のもの.

この周辺のできごと
1874/12/18 歩兵第10連隊 大阪鎮台姫路営所に編成
1888/12/23 山陽鉄道 明石-姫路開業(現,山陽本線) 姫路駅開設
1889/11/1 山陽鉄道 姫路-龍野開業
1894/7/26 播但鉄道 姫路-寺前開業(現,播但線)
1895/4/17 播但鉄道 姫路-飾磨開業
1903/6/1 播但鉄道が路線を山陽鉄道に譲渡
1906/12/1 山陽鉄道,国有化
1910/3 龍田紡績,姫路市延末483番地に移転(現,イオンタウン姫路)
1917 日出紡織姫路工場創業(現,三菱電機姫路工場)
1917/4/16 山陽本線 姫路-英賀保間が複線化
1923/8/19 神戸姫路電気鉄道が明石-姫路,開業(現,山陽電鉄)
1926 地形図に日出紡織専用線の記載あり
1927/4/1 宇治川電気(現,関西電力)が神戸姫路電気鉄道を合併
1930/9/1 姫津線 姫路-余部開業(現,姫新線)
1933/6/6 宇治川電気が電鉄部を分離.山陽電気鉄道を設立.
1943/12 三菱電機 神戸製作所の分工場として姫路製作所設立 工場の前身は大和紡績の工場(旧,日出紡織工場)  航空機の電装品工場として設立.
1945/7/3 空襲で姫路駅駅舎消失
1945/7/20 山陽電気鉄道 手柄駅廃止
1946/7 石見元秀 姫路市長となる.
1946/10 姫路駅駅舎 2代目竣工
1946/11 姫路市営バス創業
1952/9 山陽百貨店開業
1955 大手前通(50m道路)が完成
1956 手柄山に太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔完成
1957 大将軍橋架設
1957/3/27 山陽本線貨物支線 姫路-姫路市場開業
1957/10/20 姫路市中央卸売市場 業務を開始
1958/4/10 山陽本線 西明石-姫路電化
1958/8/1 山陽電鉄 手柄駅開設
1958,9 船場川 高尾ビル付近埋立
1959/9/22 山陽本線 姫路-上郡電化
1959/11 姫路駅駅舎 3代目竣工 姫路駅デパート開業 地下街完成
1962 日本ロッキード・モノレール社が設立 川崎航空機工業・川崎車輌・日本電気・西松建設などが出資
1964/5 檜山廣 丸紅社長に就任 1964年5月〜1975年5月
1964/11/4 姫路市営モノレール 地方鉄道経営免許
1966 高尾アパート完成 姫路市有地に日本住宅公団が建設.
1966/4/3-6/5 姫路大博覧会開催
1966 回転展望台 喫茶「手柄ポート」開業
1966/5/17 姫路モノレール 姫路-手柄開業
1967/4 石見元秀 姫路市長,落選.
1968/1/31 姫路モノレール 大将軍駅を閉鎖
1972/3/15 山陽新幹線 新大阪-岡山開業
1974/4/11 姫路モノレール 休止
1974 日本ロッキード・モノレール社解散
1974/12/9 田中内閣総辞職
1976/2 ロッキード事件発覚
1976/7/27 田中角栄 逮捕 その後受託収賄と外為法違反容疑で起訴
1979/1/26 姫路モノレール 廃止
1979/11/1 山陽本線 姫路-姫路市場廃止
1983 姫路駅ビルリニューアル フェスタとして開業
1984/10/13 手柄山駅北方で老朽化した饋電線が800mにわたって落下する事故
1986/10/31 播但線 姫路-飾磨港廃止
1987/4/1 国鉄分割民営化 西日本旅客鉄道となる
1989 旧手柄山駅舎を改修し「緑の相談所」を設置
1989/3/18-6/4 '89姫路シロトピア博
1991 山陽百貨店 西館を増床
1997/2/16 山陽本線 東側から現在の東姫路駅付近までの部分で高架化
1998/3/14 播但線 姫路-寺前間電化
2000 水族館上空のモノレール軌道を撤去
2001/1 龍田紡績,姫路市延末の煉瓦造りの本社工場を閉鎖
2004 大将軍橋撤去
2006/3/26 姫路駅 山陽本線のホームを高架化
2006/3/26 山陽電鉄,JR線が路線切替.JRが高架に山電が駅を出てすぐ地上に降りる形に.旧播但線(飾磨港線)の跡地を使用.
2008/12/22 姫路駅 播但線・姫新線のホームを高架化
2009/11/15 手柄山駅公開イベント 検修線からホーム内に車両2両を移転
2010/3/27 姫路市営バスが神姫バスに移譲
2011/2/26 龍田紡績本社工場跡地にロックシティ姫路ショッピングセンターがオープン(現,イオンタウン姫路)
2011/1/31 旧姫路駅ビル,フェスタ閉館
2011/4/29 旧モノレール手柄山駅,手柄山交流ステーションとしてオープン
2011/9/1 ロックシティ姫路ショッピングセンターがイオンタウン姫路に名称変更.
2013 都市再生機構が耐震上の理由から高尾アパートの解体を決定
2013/4/30 姫路駅新ビル piole姫路開業 旧ホーム部分に新駅ビルを建設
2013/4 モノレールの旧沿線 船場川を挟んで軌道と並び建っていたレンガ造りの建物,山陽色素姫路第二工場解体.
2013/6/15 姫路駅前 ピオレ姫路とキャスパ間に連絡デッキが開通
2016/8/13,4 大将軍駅見学会
2017 高尾アパート(大将軍駅)解体
2018/3/25 回転展望台 喫茶「手柄ポート」閉業