阪神大震災の日ということで昔の写真や本を見てあの頃を思い出していました.
当時私は関東に住んでおり,神戸・六甲の実家には母が一人で住んでいました.
そういえば昨年は震災の翌日に歩いた道を再び歩きましたな.
[過去の記事]
阪神大震災の頃を思い出して その1
阪神大震災の頃を思い出して その2
赤が全壊,紫が焼失. 「阪神大震災地図」日地出版(1995)
改めて見ても六甲道駅周辺から阪神石屋川,新在家,大石方面の壊滅状況に震撼します.
壊滅的に倒壊している家屋,マンション,高架橋をこれでもかと目にしながらたどり着いたわが家は奇跡のようにちゃんと建って見えました.ということで当時の写真を紹介.
見た目はちゃんと建っていたとは言え,至る所を損傷していました.
波板の塀の右がうちで左が隣家.ここは後から2Fを増築した部分で支える壁と2階床の接合部分がダメージを受けていました.なんとか床が持ってくれました.
同じところを下から見上げたところ.モルタルがはがれ落ちて床組や配管が見えています.雨樋もはずれまくってますな.
浴室はこんな感じ.
タイルは伸縮しないので割れたり,このように全体的にはがれました.
2Fの部屋.
ここに寝ていたらただでは済まなかったと思う.阪神大震災では家具による圧死も多かったですね.
外壁の亀裂.よく頑張ったと言えよう.
この時すでに築40年程度の在来木造なので南面の1,2階共に開口部が大きく,そういう目でみれば不安な間取りです.と言っても当時は普通の間取りでしたけどね.
ぴったりくっついていた隣家との間に隙間が.
隙間の右がうち,左が隣家.ほんまぎりぎりに建てとるなw
隣家の物干し場がうちの方に倒れ込んでます.
近くから見たところ.
写真はないですが,うちの物干場もはしごのような階段部が外れて落ちました.
物干し場のような軽い付属物と建物本体では揺れ方に差があるから外れたのでしょうか.
下屋.
瓦は全体的にずれて軒部は落下してました.
2Fの屋根.
ブルーシートをかけたところ.当時,新在家にあったホームセンターブリコで買ってきました.全然足りないのでひどいところにちょこっとかぶせた感じ.
遠目に見たところ.ブルーシートがわが家.
この状態で放置し,茨城県の公営住宅を貸して頂き半年ほど避難したのでした.
あの大震災の中でこの程度の被害は恵まれた方と言えるでしょう.町中が目を疑うような被害状況でした.生きるということをかなり実感した時期でした.
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