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2013年7月15日月曜日

だいぶ前に梅田貨物駅だったところをぶらぶら.

大阪駅を桜橋口を出てちょいちょいと.妙にすっきりした広場から大阪駅を見たところ.

この角度は新鮮だな.えーと…

ワンスアポナタイムw ここには大阪中央郵便局(設計:吉田鉄郎 ,1939-2012)がありましたとさ.

大阪駅環状線プラットホームから見たところ(2012/4).
1986/10/1までは大阪中央郵便局であるだけではなく大阪鉄道郵便局でもありました.

大阪鉄道郵便局 玄関跡 by 鉄道郵便ワーキンググループ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/facilities/fac04/fac04.htm
「「大阪鉄道」「郵 便 局」と金属の切り抜き文字が取り付けられたと想像できる跡があります」だって.意識して見たことはなかったなあ.懐かしいな鉄道郵便.

今は黄色く舗装された広場に,ま四角な箱みたいなもんがある.何やろな(しらじらしいw).


この広場の名前は西梅田スクエア! 確かに四角いでんな,いろいろとw

大阪中央郵便局庁舎についてはきーぼー堂さんのblogがいろいろ興味深いです.
「大阪・京都・神戸 私鉄駅物語」から昭和29年の写真が載っています.

大阪中央郵便局と映画「白い巨塔」by きーぼー堂
http://d.hatena.ne.jp/keyboar/20120310/1331391356

大阪駅前には堂島川とつながる梅田入堀がかなり古い時代から整備されていたようです.
ちょっとwebで調べてみるとなんと明治初期にこの入堀ができる前には大阪駅から安治川駅までの支線があったそうです(1875/5/1開業).まだ大阪-京都間の鉄道ができる前です.入堀ができて(1877/11/16),安治川支線が廃止(1877/12/1)になったので日本最古の廃線跡のようです.知らなかったあ.

大財閥の揺籃時代 紙幣整理期を背景に半世紀の財界を顧る by 時事新報(1931)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00484669&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

明治5 大阪圖 安治川支線があった時代の地図 by 国際日本文化研究センター
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/images/mapview.php?m=1828052-3
福島あたりまでは今の環状線のルートでしょうか.


郵便局の西には大弘ビル(1968).


ちょっと映り込むくらいのタイル. うふ♡,好みかな.

さてさらにその西側.この春,梅田貨物駅が廃止になりましたが,30年くらい前までは東海道線南側のこのあたりも梅田貨物駅でした.

この道路から左側貨物駅だったところ.


アクティ西ビルを発見.アクティビルはサウスゲートなんちゃらに名前は変わってしまいましたが,アクティ西ビルは昔の名前で頑張ってます!!

ちょっと人様のblogで大阪駅&梅田貨物駅を復習.
大阪配線図 by 懐かしい駅の風景
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-19e3.html

一番古い1921年の配線図にすでに南の入堀が描かれていますね.この頃はまだ大阪駅は地上駅で客貨両方扱う駅でした.

つづいて 梅田配線図 by 懐かしい駅の風景
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-9d6d.html

1930年. 梅田貨物駅が1928/12に開設されています.大阪駅もまだ地上.入堀から線路の下に運河を設けて,大阪駅北側にも入堀ができています.南西部は鮮満発送用だったようです.大阪駅北側には大阪鉄道局庁舎(1928-1992,現ヨドバシ梅田),さらに北には大阪倉庫もできてます.

1950/4. 大阪駅は高架化(1934)され,その下をくぐって福島から安治川口,桜島へと繋がる今の梅田貨物線ができています.
大阪駅の南にあったヤードへの連絡用に,高架下をくぐって南側に抜ける線路が入堀の東側と西側に設けられています.

1966/10. 南西側の区画はコンテナセンターとあります.いよいよコンテナ時代ですね.
入堀は埋め立てられ,新4号ホームや鉄道倉庫などができています.
大阪中央郵便局への引込みがスイッチバックするかたちで2線できています.

1973/10. 梅田駅の全貌がよくわかりますね。
北側は7号門まで南側は8-13号門に改番されています.
大阪中央郵便局への引込み線はなくなってるようです.
南西側の区画の上空を阪神高速(1967年に中之島-福島が開通)が走っています.いよいよトラックの時代です.

ということで大阪駅南側に梅田貨物駅があった時代に思いを馳せて,ぶらぶらしました.
突き当たりの,お安い散髪屋さんあたりを線路がくぐっていたはずです.


お,よくみるとその左は大阪電車区でした.えらい控えめなとこに表示してあんねんな.

高架下をくぐってきてこの方向にヤードが広がっていたんですね.


ひょいひょいと高架下を抜けて大阪駅の北側にきてみました.旧梅田貨物駅はすでにバリケードで囲まれています.
かなり色あせたJR貨物梅田駅の看板.その建物のすぐ左あたりから高架下へと線路が延びていたようです.このあたりに踏切があったんでしょうね.


南側を振り返るとこんな感じ.なんかちょこっと角度を変えてこっちに面してるあたりに線路が延びていったのが見えるような気がしますね.
現在はJR西日本大阪地区事務センター,大阪電車区大会議室などになっているようです.
高架の向こうの高層ビル街に大阪駅南側の貨物ヤードがあったんですねえ.


ふと横に地図を発見.梅田貨物駅は広域避難場所だったんですね.大阪市の防災情報マップをみたら今は休止中の扱いでした.
赤い矢印が入口で4,5,6号門のようです.なんか黄色い工事中に隠されてますけど1,2,3号門への矢印のしっぽが見えますねw もちろん工事は終わり今はグランフロント大阪です.



5号門


バリケードで囲われてますが一部中が見えるようになっています.鉄道倉庫.さすがにテニススクール生の募集も終わってるようです.


6号門



7号門.

貨物ヤードを照らしていた照明は今のところまだ点いているようです.


このあたり,向こうから横断歩道の附近を線路が横断していたはずです.

日本通運と書かれているビルの右側,もこもこの屋根の部分が入堀西側の線路があったところ.

ん,よくみるとバリケードが.この区画もこの3月に廃止になった梅田貨物駅の敷地の一部だったようです.つまりバリケード内が線路敷地に違いない.


バリケードの中をちょいと背伸びしてみると駐車場として使われているようです.

さらに南の方をみると,あそこを線路が通っていたのかな! そうに違いない!!


線路南側に回ってみたところ.きっとそうですね.

こんどは梅田入堀が高架下を通っていたあたり.
今は阪神高速の梅田出入口になっています.


南側から北方向をみた元入堀運河のガード.

なんかむやみにパイプがおおいですね.パワーステーションでもあるんでしょうか.

高さ制限2.1m. 奥を覗くとこんな感じ.

南側のもと入堀があったあたりはこんなおしゃれな水空間.スタバもあるのであそこから眺めるのも一興かも.



梅田貨物駅の高架より南側部分は1982年に貨物駅としての機能を終え,地下化した阪神本線や地上時代の阪神梅田駅敷地(新阪神ビル,ホテル阪神等)と合わせて90年代以降,再開発が行われオオサカガーデンシティという名前がつけられています.


1980年頃のオオサカガーデンシティ地域.前はこんなんでしたな.
阪神西梅田開発について by NPO法人地域デザイン研究会2011フォーラム より
http://npordi.web.fc2.com/npo-rdi/2011forum/DevelopmentOfHanshinNishiumeda.htm


アスティ西ビルからみた大阪中央郵便局敷地.手前が最近できた仮設の郵便局庁舎.当時の郵便局への引込み線は今の折版屋根の左側くらいを通っていたのでしょうか.当時は今の環状線ホームもない時代なので,梅三小路のテナントスペースあたりも線路だったかもしれません.

大阪駅と大阪中央郵便局の間には,地下通路があったそうです.各プラットホーム西端に荷物用エレベーターがあるのでその真下あたりをまっすぐ郵便局の方へ伸びていたのでしょうか.見学会でも紹介があったようです.

旧大阪中央郵便局 見学会に参加してきました by ちあきの場所(ありか)
https://nishi3.info/chiaki99/%E6%97%A7%E5%A4%A7%E9%98%AA%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B1%80%E3%80%80%E8%A6%8B%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E3%81%AB%E5%8F%82%E5%8A%A0%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F/

東京駅(1914開業)と東京中央郵便局(1933竣工)との間にも地下通路があり線路も敷かれ日本初の地下鉄道とも言われています.
大阪駅はどんな通路だったんでしょうね.旧大阪中央郵便局,地下はまだ解体してないと思うので解体時にその部分を注目したいです.

東京鉄道郵便局 専用地下鉄
http://haisentn.s78.xrea.com/toukyou/1.htm (リンク切)
東京中央郵便局沿革史 日本初の地下電車―郵便物搬送用地下軌道― 井上卓朗 by 郵政博物館
https://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_04_04.pdf


1970年代のオオサカガーデンシティ.

ではまた.
2013/6/22-7/12に散歩

2013年7月2日火曜日

大阪港に浮かぶ素敵なドーム

ワンスアポナタイム その頃,大阪になんだか高いビルができてるというので嬉しがりの私は見に来たのです.

根元部分w 写真も1枚では収まりません.

そしてシャキーン!

その名もその名もワールドトレーディングセンタービルディング(当時)! 設計:日建設計(1995)
このビルでいったいどんなワールドワイドなトレーディングが展開されていたのでしょうか.

でもこの西日本一高い展望台からの眺めは良いな.良い良い.


ん? あそこに見える黒っぽいもじゃもじゃは何かな? きににゃるにゃw
ここまで1999/8に散歩

そして10年後.

じゃーん! できてます!! ここは,なにわの海の時空館!!!

光あふれる時空ドーム.


海を隔てて六甲の山並みも見えます.



設計はフランスのポール・アンドリュー.
シャルル・ド・ゴール国際空港,ドバイ国際空港のターミナルビルなども手がけています.
設計者のweb→
http://www.paul-andreu.com/pages/pages%20fiches/67-Sea%20Sphere%20d'Osaka.html
海に浮かぶ宝石のように美しいですね.

結構大きなお船がドームにすっぽりと!





これは菱垣廻船「浪華丸」の復元建造船.
菱垣廻船とは 元和5(1619)年に堺の商人が紀州の船を借りて,大坂から酒・酢・醤油・木綿などの生活用品を江戸へ送ったのが始まり.(ウィキペディアより)

ここまで2009/8に散歩

中井正弘「菱垣廻船「浪華丸」実験航海記」,大阪春秋 96号(1999)によりますと
国会図書館に残されていた図面を元に種々の資料を取り寄せ研究を重ね復元.当時の工法を用いて船大工15人を集めて1年3ヶ月かけて建造した.当時とまったく同じ船を造るため,ケヤキ・スギ・ヒノキ・マツ・カシなどの大木を奈良県東吉野村などに求め,国内でもはや手に入らない物は,中国まで行って調達.使用木材の総量は150t,建造費10億円の半分を木材に費やした,とあります.

菱垣廻船「浪華丸」
1998/4 着工
1999/7/12 日立造船堺工場にて進水. その後8/1まで大阪湾内を実験航海.
1999/10/24 「なにわの海の時空館」予定地に搬入.


全長29.9m 帆柱27m. 図も上記,中井正弘「菱垣廻船「浪華丸」実験航海記」より.

なにわの海の時空館は,直径70m 最高部35m つまり半径35mの半球ですね.
サイズからして菱垣廻船「浪華丸」を収納するために設計された建物といっていいでしょう.


今日の元WTC(現,大阪府咲洲庁舎).

大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館 閉館しました



敷地内には古代船を復元した「なみはや」も展示されています.屋外展示なので今でも見ることができます.


全長12m 高さ3m
1988春 大阪市平野区の長原高廻(たかまわり)古墳から舟形埴輪が出土.
大阪市制100周年として舟形埴輪のモデルとなった古代船を復元し,「倭の五王」時代の航海を再現することが決定.
1989/1/19起工式 5月末完成.
1989/6/19-23 大阪市役所前で一般公開.
1989/7/8-8/11 大阪から韓国・釜山まで試験航海.

科学する邪馬台国 古代の船と航海ルート
http://inoues.net/science/war.html


陸地側にあるエントランス棟.


閉ざされている内部.

手前がエントランス棟,奥が展示棟の時空ドーム.


逆から見たところ.エントランス棟から入りエレベーターで地下に降り海底トンネルを歩いて展示棟へという導線でした.

今日も菱垣廻船「浪華丸」をお守りしています.


黄昏時.

ちゃんとした写真,中の様子などはここのブログに記事になっていました.
最初で最後の「なにわの海の時空館」へ by 気まぐれblog
http://blog.livedoor.jp/miz0001/archives/52065654.html

菱垣廻船,実験航海中の写真は下記に多くありました.
菱垣廻船と天下の台所・大坂の役割 by 海と船の写真展
http://www.asahi-net.or.jp/~mm2y-inb/Higaki-01.html

ではまた.
2013/6/30に散歩

なにわの海の時空館について
1983/8/25 大阪市制100周年記念事業基本構想の一環として企画
1993 ポール・アンドリュー氏設計.
1998/3 着工.
1999/7 菱垣廻船進水,実験航海.
2000/7/14開館.総工費176億円.(内訳 建設費144億円 展示工事費32億円(うち菱垣廻船建造費10億円))
2010/8/21,22 2010年度の大阪市事業仕分け実施.年間3億円程度の持ち出し.判定は廃止・不要.
http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/cmsfiles/contents/0000085/85875/2-11.pdf
2013/3/10をもって閉館.
今後の予定は今のところ未定のままでしょうか.

施設単体で採算ベースまで集客増を考えるのは無理があり,失敗した(少なくとも現在のところ)町づくりを軌道に載せないと用途を変えたとしても施設維持は容易ではないでしょう.
何事も身の丈に合ったコスト計画が肝心ということですね.

「よくこんなものを」等と罵声も聞こえるなか,伝統的な建築だけでなく近代建築等にもようやく保存の声があがる時代になってきています.その差はなんなのだろう.いったい何年存在しつづけたら多くの人に価値を認めてもらえ愛してもらえるのでしょうか.

復元船は貴重なものですし,展示内容もためになるものも多くありました.建物は当初の要件,機能を満たした設計(あたりまえだろうが)でしかも美しい.なんとか存在意義を保てる形で再利用したいと思います.来年は大阪市制125周年.


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