ワンスアポナタイム その頃,大阪になんだか高いビルができてるというので嬉しがりの私は見に来たのです.
根元部分w 写真も1枚では収まりません.
そしてシャキーン!
その名もその名もワールドトレーディングセンタービルディング(当時)! 設計:日建設計(1995)
このビルでいったいどんなワールドワイドなトレーディングが展開されていたのでしょうか.
でもこの西日本一高い展望台からの眺めは良いな.良い良い.
ん? あそこに見える黒っぽいもじゃもじゃは何かな? きににゃるにゃw
ここまで1999/8に散歩
そして10年後.
じゃーん! できてます!! ここは,なにわの海の時空館!!!
光あふれる時空ドーム.
海を隔てて六甲の山並みも見えます.
設計はフランスのポール・アンドリュー.
シャルル・ド・ゴール国際空港,ドバイ国際空港のターミナルビルなども手がけています.
設計者のweb→
http://www.paul-andreu.com/pages/pages%20fiches/67-Sea%20Sphere%20d'Osaka.html
海に浮かぶ宝石のように美しいですね.
結構大きなお船がドームにすっぽりと!
これは菱垣廻船「浪華丸」の復元建造船.
菱垣廻船とは 元和5(1619)年に堺の商人が紀州の船を借りて,大坂から酒・酢・醤油・木綿などの生活用品を江戸へ送ったのが始まり.(ウィキペディアより)
ここまで2009/8に散歩
中井正弘「菱垣廻船「浪華丸」実験航海記」,大阪春秋 96号(1999)によりますと
国会図書館に残されていた図面を元に種々の資料を取り寄せ研究を重ね復元.当時の工法を用いて船大工15人を集めて1年3ヶ月かけて建造した.当時とまったく同じ船を造るため,ケヤキ・スギ・ヒノキ・マツ・カシなどの大木を奈良県東吉野村などに求め,国内でもはや手に入らない物は,中国まで行って調達.使用木材の総量は150t,建造費10億円の半分を木材に費やした,とあります.
菱垣廻船「浪華丸」
1998/4 着工
1999/7/12 日立造船堺工場にて進水. その後8/1まで大阪湾内を実験航海.
1999/10/24 「なにわの海の時空館」予定地に搬入.
全長29.9m 帆柱27m. 図も上記,中井正弘「菱垣廻船「浪華丸」実験航海記」より.
なにわの海の時空館は,直径70m 最高部35m つまり半径35mの半球ですね.
サイズからして菱垣廻船「浪華丸」を収納するために設計された建物といっていいでしょう.
今日の元WTC(現,大阪府咲洲庁舎).
大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館 閉館しました
敷地内には古代船を復元した「なみはや」も展示されています.屋外展示なので今でも見ることができます.
全長12m 高さ3m
1988春 大阪市平野区の長原高廻(たかまわり)古墳から舟形埴輪が出土.
大阪市制100周年として舟形埴輪のモデルとなった古代船を復元し,「倭の五王」時代の航海を再現することが決定.
1989/1/19起工式 5月末完成.
1989/6/19-23 大阪市役所前で一般公開.
1989/7/8-8/11 大阪から韓国・釜山まで試験航海.
科学する邪馬台国 古代の船と航海ルート
http://inoues.net/science/war.html
陸地側にあるエントランス棟.
閉ざされている内部.
手前がエントランス棟,奥が展示棟の時空ドーム.
逆から見たところ.エントランス棟から入りエレベーターで地下に降り海底トンネルを歩いて展示棟へという導線でした.
今日も菱垣廻船「浪華丸」をお守りしています.
黄昏時.
ちゃんとした写真,中の様子などはここのブログに記事になっていました.
最初で最後の「なにわの海の時空館」へ by 気まぐれblog
http://blog.livedoor.jp/miz0001/archives/52065654.html
菱垣廻船,実験航海中の写真は下記に多くありました.
菱垣廻船と天下の台所・大坂の役割 by 海と船の写真展
http://www.asahi-net.or.jp/~mm2y-inb/Higaki-01.html
ではまた.
2013/6/30に散歩
なにわの海の時空館について
1983/8/25 大阪市制100周年記念事業基本構想の一環として企画
1993 ポール・アンドリュー氏設計.
1998/3 着工.
1999/7 菱垣廻船進水,実験航海.
2000/7/14開館.総工費176億円.(内訳 建設費144億円 展示工事費32億円(うち菱垣廻船建造費10億円))
2010/8/21,22 2010年度の大阪市事業仕分け実施.年間3億円程度の持ち出し.判定は廃止・不要.
http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/cmsfiles/contents/0000085/85875/2-11.pdf
2013/3/10をもって閉館.
今後の予定は今のところ未定のままでしょうか.
施設単体で採算ベースまで集客増を考えるのは無理があり,失敗した(少なくとも現在のところ)町づくりを軌道に載せないと用途を変えたとしても施設維持は容易ではないでしょう.
何事も身の丈に合ったコスト計画が肝心ということですね.
「よくこんなものを」等と罵声も聞こえるなか,伝統的な建築だけでなく近代建築等にもようやく保存の声があがる時代になってきています.その差はなんなのだろう.いったい何年存在しつづけたら多くの人に価値を認めてもらえ愛してもらえるのでしょうか.
復元船は貴重なものですし,展示内容もためになるものも多くありました.建物は当初の要件,機能を満たした設計(あたりまえだろうが)でしかも美しい.なんとか存在意義を保てる形で再利用したいと思います.来年は大阪市制125周年.
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