梅雨なのに雨の降らなさそうな日曜日,こんな日はお散歩びより.
と大阪臨港線の廃線跡を散歩しにきました.
大正駅を下車してとことこと.
なにやら武骨な鉄橋.岩崎運河東橋.
ガードレールに百恵ちゃんぽいシール!
橋に接近! かっちょいい.リベット好きなら歓喜するに違いない.
なにやらこの南市岡の辺はやたらと瓦屋さんが多いです.
しばし適当に歩くと向こうの方になにやら二層構造の鉄橋が!
近づいてみるとなにやら元橋台っぽいものが.
環状線の上下線の間から臨港線へ行く線路が降りてくる構造です.下の道路がちょっと凹んでいたのは有効高を稼ぐためのようです.
この辺が大阪環状線と臨港線が分岐していた元境川信号場です.
臨港線はここから分岐して浪速駅へ,そしてさらに分岐して大阪港駅と大阪東港駅へと伸びていました.
臨港線の先を行くと市岡第二架道橋.
もう橋桁も橋桁防護工もないですけど,ぶつかると連絡はいるのでしょうか?
大正駅方面を振り返ったところ.左に曲がって行く大阪環状線から立体交差でおりてくる臨港線が見えます! 奥には大阪ドームも見えます.
浪速駅方.
さらに次の架道橋跡.ここを通過していたのね.だんだん高さが下がって行きます.えらい高さ低いですね.森の小人くらいしか通れなさそう.
知人に見せて頂いた,休止直後の架道橋.左のビルから同じ地点です.
廃線跡には猫様が似合いますね.目の前を歩いて行かれます!!
と,おもむろにタイヤをしかと!!!
何故か鈴を後ろにつけているのも猫様なりのポリシーでしょうか?
お知らせ この踏切は平成16年11月9日から当分の間使用を休止します.
それから8年半… 長い当分です.
あっ! 近くの商店街のシャッターです.
南市岡11番街でした.
ついに花咲き乱れる線路発見.
断ち切られた鉄路.
防蟻材をしみこませるための傷跡のついた枕木.犬釘の頭.すべてがノスタルジー.
なにやら高低差.左の高い方が西(沖合側),右の低い方が東(内陸側).西の方が後から埋め立てられたので地盤が高いのでしょうか.
昔はここがが堤防だったのかも.
この高低差を境に一気に工業地帯ぽい雰囲気.住宅はあまりありません.用途地域の区切りでしょうか.こっから先の線路跡地はすっかり撤去され再利用されています.
地図発見.JR用地の表記のある細長い土地が線路跡,福崎三丁目の表記があるところや大阪市交通局港営業所(2013/3廃止),佐川航空が旧浪速貨物駅.
三十間堀川に橋梁が残っていました.
橋桁は複線分あります.複線としてはついに使われないままでしたが.
線路のあったところには水門.
アップで見ると線路の形にあわせてゴム製のパッキンがあります.
そしてすぐ横に気笛の合図表示.
確かに昔鉄道があった痕跡です.
お! まだ浪速駅の看板が存在しました!
天保山運河を渡る新福崎橋.
貨物線にもあのあたりに可動橋があったはずです.
ウィキペディアにある当時の写真↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tempouzan_canal_lift_bridge.jpg
日和橋.貨物線が通っていたところは,新しいコンクリートで塞がれています.
大阪港駅方.
分岐を感じる曲線美.大阪港駅へは歩道部分を直進していましたが,埠頭へ伸びる支線が分岐していました.
難波津橋を渡ったところの旧住友倉庫群(1923).素敵な赤レンガ倉庫!
荷さばきしたであろうプラットホームもそのままに.今でもこの倉庫の間にヤードの線路が見えそうです.
建物外側も線路曲線美なカーブ.
線路はこの先,ぐるっとサントリーミュージアム,海遊館を通って天保山マーケットプレイスのあたりまで行っていたようです.
商船三井築港ビルあたりをうろうろしていると貨物線の上に建てた家だというおじさんに出会いちょこっと話を聞きました.裏に庭があるそうですけどちょっと掘ったら砕石ばかりごろごろ出てくるそうです.
ではまた.
2013/6/2に散歩
下記のブログでも素敵な赤レンガ倉庫が紹介されています.
昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景 by 阿房列車ピクトリアル
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1021.html 1983年頃
大阪築港赤レンガ倉庫群 by 旅の一押しスポット
http://iglobe.at.webry.info/201210/article_3.html 2012年の姿
1970年代の航空写真
より大きな地図で 大阪臨港線 を表示
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