でこの日の出発点,ここは高麗橋.
ウィキペディアによりますと京街道とは大坂の京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って進み,淀を経て京に向かう街道.豊臣秀吉が,毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源とあります.
雨がすごい日で写真の撮り方も投げやりですが,よくみると里程元標と記されていることがわかります.高麗橋は京街道の起点であり,明治時代の大阪府の道路の起点ともなりました.
雨が降りしきるり,石段の側溝の流れも勢いを感じます.
草が生い茂る階段.謎の入り口共,いい感じです.
現代の京街道,京阪電車でワープ.
ホームから何やら橋のようなものが見えます.ここは守口市駅.
守口市・文禄堤の本町橋. 1952/4に架橋.
文禄堤
この堤は,豊臣秀吉が伏見城と大阪城を結ぶ最短距離の道として,文禄5年(1596)に毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて淀川左岸の堤防を改修・整備したもので,のちに,東海道守口宿の一部が築かれました.
高低差があるのでスーパーの看板も間近にみることができます.
しばし行くと木製の電柱を発見.
街道沿いに虫籠窓の建物.向かいのマンションにも虫籠窓デザインが取り入れられています.
堤から下る,いい感じの路地階段.
すぐ脇に道標がありました.「右 なら のざき みち」とあります.
基礎部が煉瓦造り.床下に換気口が.
勝手口もあります.地下室があるのかも.
水路敷と思われる道が.暗渠のようです.
暗渠は守口市駅の下へ続いていました.
天国に登れそうな,いい階段.
再びワープし,続きましては枚方宿.
川崎麻世のポスター.
暗くなるまで待ちたい喫茶店ですね.
道端に西口公設市場の表示が.
現在は枚方理公設市場サンパークとなってます.
枚方市西口公設市場商業協同組合
枚方唯一の公設市場、スーパー「サンパーク」を徹底取材!枚方で生まれた野菜や商品と人情味にあふれていた by 枚方つーしん
http://www.hira2.jp/town/sunpark-20180208.html
旧街道沿いのにある鍵屋資料館です.この建物では1997年まで「鍵屋」として料理旅館が営まれていました.
鍵屋2Fからみた淀川.
黒光りする2F廊下.
中では枚方宿,そして京街道に関する資料が展示されています.岡本町での調査で堤の上面は幅が約5m,現在の地盤は1.8-9m盛土されていました.
くずはモールで休憩.
現代の京街道,京阪電車の展示コーナーがあります.
我々には懐かしい,往年の名車3000系特急車テレビカーが展示されています.
車内に飾られている絵画.橋本駅近くの風景です.
車内には1972年当時の観光案内図も.
さて現代の京街道に乗車.
淀川を眺める窓には,昔の電車の窓には必ずあったホッチキスのようなものが.ウインドラッチというらしいですよ.amazonでも買えます.
ほどなく,橋本に到着.
駅前で懐かしい感じのアイスクリームケースを発見.子供の頃には店先にあるアイスクリームケースに群がったものです.
風情のある通り.
おっ! これは,くずはモールの展示車内に飾られていた絵画の階段です.
柳谷わたし場の道標
「柳谷わたし」「山さき あた古わたし場」「大坂下り舟のり場」「明治二年建立」
柳谷とは対岸の柳谷観音.映画「鬼龍院花子の生涯」の松恵もこの渡船で来たかも.
柳谷渡し(山崎の渡し)は戦後しばらくの間もありましたが,昭和37(1962)年に廃止されました.
山崎の渡し/きつね渡し/広瀬の渡し by 山崎観光案内所
http://oyamazaki.info/archives/594
堤防に上がってみると淀川の対岸は霧の中です.
淀川堤防から見下ろした街道沿いの建物.
次は墨染駅で下車.
琵琶湖疏水です.
墨染ダム
町角の手書き地図.
大正湯と,受泉寺住吉保育園は現存してる模様.
橦木町廓入口.
入って行くと関西デジタルホンの取扱店を発見.
テレメッセージのお申し込みも受付中w
トタン美.
昔はあちこちの公園にこんなゴミ箱がありましたね.
美しいデザインの持ち送り.
謎の生命観あふれる建物.
北新橋
大正12(1923)年9月
琵琶湖疏水を越える京阪電車の鉄橋
疎水と天然の川が立体交差しています
交差部は煉瓦造り.
高低差を利用し2Fに直接入れる木造アパート.
渡り廊下がいい感じ.
ポルティコ回廊風の外廊下がまたいい感じです.
深草市場
微妙にSNSっぽい教会ポエム.
工藤飛雄馬がうさぎ跳びしてそうな階段.
ということで藤森駅で終了.駅のベンチがいい感じです.
ではまた.
2018/5に散歩.
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