海を眺めながら摂津から播磨の国へと.
という間に窓から見える橋台は,おお! 姫路モノレール!
ほどなく姫路駅に到着.
この日は兵庫県立歴史博物館に「線路はつづく」展(2018/4/28-6/17)を見に来ました.ええ,ほぼ1年前のことですw
見学後に近くをぶらぶら.
なにやらお堀のようなものが.
水路が続いています.
ここは姫路城中堀,野里門バス停前.
姫路駅前に戻ってきました.ヤマトヤシキ百貨店です.
もうシャッターが上がることはありません(2018/2/28閉店).
現在は10Fのパスポート窓口が活動するのみです(その後,2018/11/21に移転).
地階は以前,ごちそう館でした.
自在に湾曲する階段手すり.
地階への階段手すり.
エレガントです.
上階への階段.踊り場には休憩用の椅子が残されたままです.
エレベーター.
エレボタ.
今はただ陽が射し込むだけの床仕上げ.
シャッター.
外観.
ヤマトヤシキは1951/11に百貨店として開業.村野藤吾設計,鉄筋コンクリート造4階建て.
1957年には姫路城の見える展望レストランを8階に置いた地上8階高さ43mの播磨一の高層ビルとなる.
その後も,増築を繰り返した百貨店らしい建物.
2018/6当時のフロアマップ by googleマップ
さてさて山電に乗り
網干までやってきました.電車はまだピカピカの新車,6000系.
山陽電鉄網干線は初乗,これで山陽電鉄は完乗です.
網干駅前の GO ANNNAI
丸窓が並ぶビル.
秘密の研究所っぽい佇まい.今は貸物件です.
このあたりは播電鉄道(1909-34)の廃線跡.余子浜駅のあった場所.
今昔マップより 1926年の地図に現在の山電網干線を追記.
播電鉄道は1909年開業の新宮町-網干港間の鉄道.現在は姫新線沿線の新宮町や龍野,海沿いの網干から山陽本線の網干駅へと南北から客貨を運びました.
1932年に姫新線が播磨新宮まで開業し姫路まで鉄道が直結したことにより客が奪われ,播電鉄道は1934年に廃止.
その後もバス事業は存続していましたが1941年に山陽電鉄が網干まで開業.1943年にバス事業は神姫合同自動車(現,神姫バス)に合併し播電鉄道は会社解散.
さらに南へと歩みを進めます.
水路の上に建物があります.
いい感じの通りが続きます.
またもや建物の下に水路が吸い込まれていきます.
建物からワッサーと枝が伸びています.「ゆ」とあります.
網干橋.
網干橋から東方.網干川.
かなり濃厚にワッサー化した建物.
そのすぐ南に何とも素敵な建物が見えてきました.
婦人服飾 タケダ.
現在は「売物件」の表示があります.
この建物は旧網干銀行本店です.網干銀行は1894(明治27)設立の銀行でこの建物は1922年頃の竣工.
銀行はその後,1930年に三十八銀行に買収され,三十八銀行はまた神戸岡崎銀行等7行合併により,1936年に神戸銀行に.その後,太陽神戸,太陽神戸三井,さくらと合併変遷を繰り返し現在は三井住友銀行.
各地に銀行が創設され,合併を繰り返していく時代の建物.建物は1970年に婦人服飾「タケダ」となり,2015年に閉店.今夏にも,レストランとして生まれ変わるそう.
旧銀行の洋風建築がレストランに 学生SNS契機に再生(2019/3/5) by 神戸銀行NEXT https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201903/0012118878.shtml
丸ポストも現役.
またしてもいい建物.
金井時計店.両脇に社章を従え,メダリオンが颯爽と通りに面して屹立しています.
町の主役w,猫様たち登場.
社員の仕事ぶりを綿密に監視しています.
網干神社.
境内に土俵がありました.
傾き具合がレオパレス級の家がありました.
鋸屋根の物件.
かなり薄い屋根というか,一種の看板建築でしょうか?
さかひはし 道路に欄干だけ残されていました.
境橋1985年に道路拡張と下水道により,橋としての機能は失われたとあります.
網干地方は万治元年(1658)から明治期まで
・興浜地区は丸亀藩(京極家)の所領
・新在家地区は龍野藩(脇坂家)の所領
に分割されていた.この石橋は両藩の境界掘割に架けられていたので境橋と呼ばれた.昔はここに通行門が設けられ朝夕時刻を定めて門が開閉されていた.
あぼし一番街のアーチ.
歴史を感じる建物が連なります.
婦人服 趣味の店 テル
ということで, 山陽網干駅まで帰ってきました.
2018/6に散歩
ではまた.
この周辺のできごと
1878 第三十八国立銀行 開業 本店姫路市
1888 山陽鉄道 明石-姫路,開業
1889 山陽鉄道 姫路-龍野,開業
1894 播但鉄道 姫路-寺前,開業
1894 網干銀行 網干銀行,設立
1895 播但鉄道 姫路-飾磨,開業
1898 三十八銀行 私立銀行として営業継続 三十八銀行と改称
1900 鈴木商店 直営樟脳製造所(再製樟脳製造)を設立
1903 播但鉄道 山陽鉄道に合併
1906 鈴木商店 網干・本柳寺前に日本セルロイド創立事務所.地主と交渉進める.
1906 ヤマトヤシキ 洋品雑貨店米田まけん堂開店 姫路市二階町
1906 山陽鉄道 国有化
1908 日本セルロイド 鈴木商店,日本セルロイド人造絹糸設立 揖保郡網干町
1909 播電鉄道 龍野電気鉄道 網干港-網干駅前-觜崎 開業
1910 日本セルロイド 外国人技師住宅(ダイセル化学工業網干異人館) 竣工 設計:設楽貞雄
1915 播電鉄道 新宮軽便鉄道 觜崎 - 新宮町間が開業
1917 三十八銀行 九十四銀行,飾磨銀行,姫路銀行の3行を合併
1919 ダイセル セルロイド製造企業8社の合同により大日本セルロイド株式會社発足
1922 網干銀行 1922年頃,網干銀行本店竣工
1923 三十八銀行 神戸実業銀行を合併
1923 山陽電鉄 神戸姫路電気鉄道が明石-姫路間を開業
1927 山陽電鉄 宇治川電気が神戸姫路電気鉄道を合併
1927 三十八銀行 三木銀行を買収
1928 三十八銀行 加古川銀行を買収
1929 播電鉄道 バス事業を開始
1930 国鉄 姫路-余部 開業
1930 三十八銀行 網干銀行,中播銀行を買収,相生銀行を買収
1931 国鉄 余部駅-東觜崎 開業
1932 国鉄 東觜崎駅-播磨新宮 開業
1933 山陽電鉄 宇治川電気の電鉄部が分離独立,山陽電気鉄道を設立
1934 ダイセル 富士写真フイルム設立 大日本セルロイドの写真フィルム事業
1934 播電鉄道 廃線
1936 三十八銀行 三十八銀行は神戸岡崎銀行,五十六銀行(明石市),高砂銀行,灘商業銀行,西宮銀行,姫路銀行と合併し神戸銀行となる.
1940 山陽電鉄 網干線 飾磨-夢前川 開業
1941 山陽電鉄 網干線 網干まで全通
1943 播電鉄道 バス事業は神姫合同自動車(現神姫バス)に合併.会社解散.
1946 網干町 姫路市に合併
1946 ヤマトヤシキ ショッピングセンターやまとやしきを開業 木造2階建
1951 ヤマトヤシキ 百貨店やまとやしき 新築開業 RC造4F 設計:村野藤吾
1953 山陽電鉄 山陽百貨店を開業
1966 姫路モノレール 姫路-手柄山間,開業
1970 網干銀行 婦人服飾 タケダ 旧網干銀行本店で営業開始
1974 姫路モノレール モノレール線休止
1985 境橋 役目を終える
1986 国鉄 播但線 飾磨港-姫路間,廃止
2001 ヤマトヤシキ ヤマトヤシキ加古川店の開業
2015 網干銀行 婦人服飾 タケダ,閉店
2018 ヤマトヤシキ ヤマトヤシキ姫路店閉店
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